歌は誰のものか



・森進一反発「ぼくのおふくろさん」


・森進一困惑「おふくろさん」に勘当された


・「おふくろさん」騒動 進一ただ困惑


・森進一の名曲「おふくろさん」作詞家・川内氏、怒りの“絶縁宣言”


・森進一「おふくろさん」めぐり泥仕合


なんか、最初に報じたスポニチが必要以上に焚きつけている気がしますが…。
昨日、Yahoo!トップの見出しが「森進一が歌詞変え作詞家激怒」となっていたためか
多くの人が早とちりしていたようですが、冒頭に別のフレーズを付け加えたのであって
歌詞の語句そのものを“変えた”わけではありません。
森進一個人の意志で勝手に変えて歌っていたということでもないでしょう。
多くの報道で「台詞」となっていますが、問題となっている冒頭の歌詞部分は
台詞ではなく、ちゃんとメロディのついた歌です。
みんな実際の歌を聴きもせずに記事書いてるんでしょうか。
「作家同士なら盗作といえる」などという
川内康範氏のコメントもピントがズレていてワケがわかりません。


とはいえ、たとえ付け足しであっても「著作物の改変」には違いないので、
著作者に無断で改変することは許されません。(同一性保持権
「もう俺の作品は歌わせない」という主張通り、この歌を森進一が歌うことを
川内氏が禁じる権利もあります。(上演権および演奏権


「おふくろさん」が、どこの音楽出版社管理楽曲なのかはわかりませんが
たとえ森進一個人に落ち度はなく、手続きを怠ったスタッフの責任だとしても
彼本人および関係者が川内氏に詫びを入れるのがスジというものでしょう。
ここ数年、楽曲の著作権に関するトラブルは大抵、
「事前に知らせてさえくれりゃよかったのに」「ひとこと謝ってくれればいいのに」
という道義の面から始まって、感情的にこじれているものが多い気がします。


…で。それとはまったく別の問題なのですが。


どうしても違和感を拭えないのは、「おふくろさん」の冒頭追加バージョンが
既に30年近くコンサートやテレビで歌われてきた(らしい)にもかかわらず、
それを今頃になって川内氏が指摘してきた、ということ。


つまり川内氏は、自身の作詞した作品を
長年歌い続けている森進一のコンサートや出演番組を
まったく見ていなかったということになります。それってどうなんでしょう?
日本にいなかった時期もあるようですが…。


※いくつかのスポーツ紙によれば、川内氏はこの“改変”について
 「10年ほど前から気づいており、(6、7年前から?)何度か指摘してきた」となっています。


川内氏の「俺の歌はもう歌わせない」という言葉の裏には、
「その歌は俺のものだ」「歌わせてやっているんだ」
「俺が書いてやった歌で仕事もらってるくせに」…という気持ちが垣間見えます。
あ、いや、確かにその通りなんですけど、それを言っちゃあオシマイでしょうよ。(^_^;)


歌は生き物です。
歌手が生のステージで歌い続けている限り、歌が古くなることはありません。
しかし、オリジナルのアーティストが何らかの理由で活動しなくなったり、
亡くなったりして歌われることがなくなれば、歌は途端に命を失って「懐メロ」になります。
「おふくろさん」を聴いても「懐かしい」とは思わないのは、
森進一がずっとテレビやコンサートで歌い続けているからであり、
歌がいまだ「現役」でいるからです。


ましてやこの曲は、よく物真似のネタにされるように、
森のあの独特の声、全身を震わせて熱唱する姿と
強く結びついて人々の記憶に残っているはずで、
彼以外が歌う「おふくろさん」なんて、想像できません。
「おふくろさん」が今に至るまで色褪せない名曲であり続けているのは
心を打つ歌詞の素晴らしさに加え、それを歌い続けてきた森進一の功績も大きいでしょう。
その意味では、確かに川内氏の著作物ではありますが
“森進一の「おふくろさん」”と主張するのも半分正しいかもしれません。
もちろん、だからと言って森サイドの判断で勝手に改変したり
川内氏の了承なしに今後も歌っていいことにはなりませんけど。


今回の騒動は、互いのコミュニケーション不足から生じたことであって、
「どちらも頑固で意地になってて大人げないなぁ」というのが正直な感想です。
その点、「星に祈りを」の件で、本人は悪くないというのに
都はるみとその関係者にきちんと詫びた坂本冬美はさすがでした。


歌手は「作品をいただいた」「歌わせていただいている」と作家に感謝し、
作家は「歌に命を吹き込んでくれた」「歌い続けてくれている」と歌手に感謝する。


そういうものであってほしいと思うんですが…。和解に向かうことを望みます。