作詞家・木下龍太郎氏 死去


ずいぶん前にいただいた名刺。特徴ある筆のマーク?が印象的です

・おくやみ 木下龍太郎氏死去(作詞家)
 (時事通信社

・訃報:木下龍太郎さん70歳=作詞家
 (毎日新聞

・作詞家の木下龍太郎さん死去
 (朝日新聞


あぁ…。訃報に、大きなショックを受けています。
9月22日の朝に亡くなったとのこと。


これまで何度もイベント取材の場でお会いしましたし、インタビューしたこともありました。
歌手の新曲発表パーティーなどでお見かけして挨拶に行くと
ちゃんと私の顔と名前を覚えていてくださり、気さくに話してくださいました。
木下氏を思い出すと、ニコニコとしたあの笑顔以外は思い浮かびません。
昨年末くらいだったでしょうか、体調を崩して入院されたことは
噂でお聞きしていたんですが、詳しい病状については知らないままでした。


家族を支えるため、化粧品会社のサラリーマンとして働くかたわら作詞活動を続け、
50代になって、定年を待つことなく退職して作詞家に専念したという経歴。
詞に対する姿勢。数々の詞の生まれた面白エピソード。
仏様にも通じるような優しいお人柄。何より、ここぞという時に
ウィットに富んだダジャレを必ず言って笑わせ、その場を盛り上げるサービス精神(笑)。
人間としてとてもあたたかい、魅力的な方でした。


現在も続くいわゆる“ご当地ソングブーム”のきっかけを作ったのは、間違いなく
木下氏の作った「東尋坊」「鳥取砂丘」「釧路湿原」「五能線」などの
水森かおりの一連のヒット曲であったと思います。
演歌界全体に活気をもたらし、なお新たな作品を生み出し続ける木下氏は
現在の演歌界を支える大きな柱でした。


もっとも、木下氏ご自身は“ご当地ソング”と呼ばれるのを好まず
そういった歌たちについて「旅情歌」「旅情ソング」といった呼び方をされていました。
木下氏自身がかつてサラリーマンとしての仕事を通じて
日本全国を旅してまわったように、紡ぎ出される歌もまた
旅する人間の視点で、その主人公が感じたことについて書かれたものだからです。


歌の題材として、手垢のついた有名な観光地でなく
まだほとんど取り上げられていないような
知る人ぞ知る風情ある地名を探し出してきて歌にするセンスは
他の追随を許さない、木下氏独自のものでした。
もちろん“旅情歌”以外にも素晴らしい作品を多数生み出していらっしゃいます。
「居酒屋サンバ」なんて楽しい歌も書いてますし。


演歌の世界の隅っこに身をおく者の一人として、胸が締め付けられる想いです。
ましてや、これまでに詞を提供された歌い手たちの悲しみは、いかばかりでしょうか。


ご病気になってからも作品は書かれていたようですし、
また元気な姿を拝見できるものだと信じていたのですが、
それも叶わぬこととなってしまいました。心からご冥福をお祈りいたします。
木下先生、お疲れさまでした。素晴らしい作品の数々をありがとうございました。


小桜舞子のブログ「大好きな父上へ。」(2008/09/25)
 http://blog.goo.ne.jp/sakuramusubi-gs/d/20080925
・秋山涼子のブログ「さよならは心の中で・・・」(2008/09/25)
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川野夏美のブログ「木下先生」(2008/09/28)
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